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自然環境
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猿岩 さるいわ 黒崎半島のさらに先端にある高さ45mの海蝕崖の玄武岩。そっぽを 向いた猿にそっくりで、気紛れな自然の造形に驚かされる。壱岐島 誕生の神話によると、「壱岐の国は生き島である。神様が海の中で この島をお産みになったとき、流されてしまわないようにと八本の柱 を立てて繋いだ。その柱は折れ残り、今も岩となって折柱(おれば しら)といわれている」とある。その八本の柱のひとつが猿岩である。 |
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勝本漁港 かつもとぎょこう 700隻近くの漁船がひしめく日本でも有数の漁港。マグロと剣先イカで有名。築地市場でも壱岐のマグロの評価は高く、高値で取引される。また、剣先イカは、『壱岐剣(いきつるぎ)』というブランド名で、全国的に人気が高まっている。 |
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ツインズビーチ 塩樽海水浴場と小水浜海水浴場を合わせてツインズビーチと呼ぶ。 小さな入江にある美しい砂浜の洒落た海水浴場。二つの海水浴場は 小さな岬を巡る遊歩道で結ばれ、シーズンオフにはジョギングする人 たちもいて、静かなプライベートビーチの趣がある。壱岐西海岸のマ リンスポーツの中心地。 |
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辰ノ島 たつのしま 0.16haの無人島は、夏になるととたんに人口密度が高くなる。勝本 港からは海水浴シーズンだけ渡海船が出る。弓状の浜辺は遠浅の 白い砂浜で美しく、観光客には人気が高い。海浜植物群落や蛇ケ 谷など見所も多い。 |
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串山海水浴場 くしやまかいすいよくじょう 活気に溢れる勝本港の東海岸にある。串山キャンプ場が隣接しているので、テントサイトからそのまま水着でビーチに直行。磯あそびとして開放された(有料)磯物の宝庫・根島も隣接する。 |
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清石浜海水浴場 くよしはまかいすいよくじょう 芦辺港の南東に広がる約500mの美しい砂浜が清石浜である。シーズンオフにはサーフィンやバードウォッチング、ビーチコーミングなども楽しめる。 |
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筒城浜 つつきはま 宮の浜ともいう。宮とは白沙八幡神社のことをさす。海岸線の全長およそ600mで壱岐を代表する海水浴場。白砂青松の美しい浜は、日本古来の自然美を残した海岸風景で絶景である。渚には色とりどりの小さな貝が宝石をちりばめたように輝く。 |
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錦浜海水浴場 にしきはまかいすいよくじょう 壱岐のビーチの中でも、マリンスポーツのメッカで、その透明度は抜群です。砂浜も白くて、とてもきめ細かく、海の青、砂浜の白、そして松の緑のコントラストは絶景で、一見の価値あり。ダイブショップ兼カフェバーがあり、波の音を聞き、ロケーションを楽しみながら飲むカクテルの味は格別です。 |
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大浜海水浴場 おおはまかいすいよくじょう 夏にはたくさんの海水浴客で賑わい、オフシーズンには、サーフィンやウインドサーフィン等の好フィールドとなる。マリンブルーに輝く遠浅の海は、小さなお子様でも安心して遊べることから、ファミリーにも人気がある。 |
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鬼の足跡 おにのあしあと 郷ノ浦町の西端、牧崎の先端にある。玄武岩の海蝕崖の絶壁上に広がる草原に、ぽっかり開いた周囲110mの大穴。これは途方もなく長い時間をかけて波が浸食した海蝕洞の先端部が、陥没してできた穴である。壱岐を代表する景観で、地元では、大鬼のデイが鯨をすくい捕るために踏ん張ってできた足跡で「鬼の足跡」と呼ばれている。この時のもう片方の足跡は勝本町辰ノ島の蛇ケ谷にある足跡である。牧崎の海岸に突き出たにんまり笑うゴリラ岩が愉快だ。 |
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左京鼻 さきょうばな 八幡半島のなだらかなスロープ状の草原を進むと、玄界灘に面して切り立った総延長約1kmにも及ぶダイナミックな海蝕崖に行きつく。ここの海蝕岩は玄武岩特有の柱状節理で、左京鼻の海中からは細い柱を束ねたような奇岩が突き出ている。壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ「折柱(おればしら)」である。海鵜のおびただしいフンに覆われているが、遠目には武骨な玄武岩が化粧を施したように美しい。。 |
歴史・文化
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原の辻遺跡 はるのつじいせき 原の辻遺跡は弥生時代の環濠集落で、『魏志』倭人伝に記された「一支国(いきこく)」の王都に特定された遺跡です。この原の辻遺跡は“遺跡の国宝”にあたる国の特別史跡に指定されています。日本で弥生時代の遺跡として特別史跡に指定されているのは、この他、登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)の2箇所だけです。 |
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鬼の窟古墳 おにのいわやこふん 壱岐では横穴式石室古墳のことを“鬼の窟”と呼んでいる。これは鬼でもなければこんな重い石は運べまいといった解釈からだろう。6世紀後半~7世紀前半頃の築造。直径45m、高さは13m。内部は大きな玄武岩を幾つも積み上げた横穴式。石室は壱岐最大(全国12位)で全長16m、最大の天井石は4mもある。当時の豪族・壱岐直(あたい)の墳墓らしいといわれている。 |
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掛木古墳 かけきこふん 6世紀末~7世紀前半の築造。円墳で、墳丘の直径は約30m。県下で唯一の「くり抜き式家形石棺」を持つ古墳として有名。大きな石をくり抜いて造ってあり、屋根の形をした蓋も同様の作り方である。壱岐風土記の丘の歴史散策コースの一つ。 |
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元寇の碇 げんこうのいかり 左京鼻沖で発見された。中国製の石を使っているが、日本軍の船の碇石ではないかともいわれている。いまは少貳公園にある。花崗岩製。 |
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文永の役新城古戦場 ぶんえいのえき しんじょうこせんじょう 唐人原古戦場から約1km南東、谷江川近くに石碑がある。この一帯は最後の激戦地であったとみられ、その一画に千人塚がある。千人塚は多くの死体を埋めたことからそう呼ばれる。近くには平景隆(たいらのかげたか)の居城樋詰(ひのつめ)城があった。千人塚の中央に元寇殉国忠魂塔が建ち、左脇には観音像、右脇に本来の千人塚の標石である自然石が2基ある。 |
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「戦艦土佐」に搭載されていた主砲(口径41cmのカノン砲二門の砲台で砲身の長さ18.83m)が設置されていた砲台。放たれる砲弾の射程距離は 35kmで、東洋一と呼ばれた。巨大な地下要塞であるが、猿岩展望所の売店裏の山道を少し登ると、砲台の巨大な穴を地上からも見ることができる。 |
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春一番の塔 はるいちばんのとう 自然を畏れる気持ちを伝える春先に吹く強い南風のことを「春一番」といい、いまでは気象用語となっているが、この言葉の発祥の地は壱岐である。1859年(安政6)春一番により地元の漁師が大勢遭難した。昭和62年、郷ノ浦港入口の元居公園に、船の帆をイメージした「春一番の塔」が建てられた。 |
神社・仏閣
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月読神社 つきよみじんじゃ 古事記では伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が天照大神の次に産んだのが月読尊(つくよみのみこと)とされている。京都の月読神社は、487年壱岐の県主(あがたぬし)の先祖忍見宿祢(おしみのすくね)が壱岐から分霊したもので、ここは神道の発祥の地とされる。県道に面した鳥居から、桧林の中を急な石段の参道がつづく。鬱蒼として昼なお暗く神秘的なたたずまいを見せる。 |
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壱岐神社 いきじんじゃ 1281年(弘安4)の弘安の役で戦死した少貳資時を祀った神社。昭和19年に本殿が造営された。1500年の歴史をもつ壱岐の神社の中ではもっとも新しい神社である。「ショウニイ様」と呼ばれる石積みの塚が資時の墓であることが分かったのは明治31年のことで、600年以上も語り継ぎ守ってきた地元の人々の信仰心が形になった。300円の猫恵比寿のおみくじが可愛い。 |
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住吉神社 すみよしじんじゃ 祭神は底筒男神(そこつつおのかみ)、中筒男神、表(うわ)筒男神、相殿に八千戈神(やちほこのかみ)で、明治4年、国幣中社に列格。壱岐唯一の官社となった。神社のある幡鉾(はたほこ)川源流域は、古代より神聖な場所である。神殿は鬱蒼とした樹叢の中にある。境内の神池から発見された神鏡17面は、大陸系のもの12面と和鏡系のもの5面。絹本着色高野四社明神像など平安から室町時代の貴重な文化財がある。 |
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壱岐安国寺 いきあんこくじ 1338年(暦応元)足利尊氏と直義は、平和祈願と元寇以来の戦死者の菩提を弔うため、全国六十六ヶ国と二島に安国寺建立を命じた。壱岐では従来あった海印寺を安国寺に当てた。開山は京都南禅寺の禅師無隠元晦である。「師子窟」の扁額の掛かる仏殿は、二重屋根の重厚な建築物。室町時代の貴重な宝物が多く、なかでも高麗版大般若経は国の重要文化財で、境内の一角にある宝物展示館で見ることができる。また境内のスギの巨木が目をひく。 |
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はらほげ地蔵 はらほげじぞう 六地蔵は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)において衆生の苦患を救うという六種の地蔵である。海女で有名な八幡浦の海中に祀られている。自然石の頭部で、腹が丸くえぐられているので、はらほげ地蔵と呼ばれている。何時、誰が、何のために祀ったかはっきりしたことはわからないが、遭難した海女の冥福のため、鯨の供養慰霊のためなどと伝えられる。胸の穴は、満潮になって地蔵が水没しても供え物が流れないように、船から供え物ができるように、あるいは流行の疫痢の疫病退散祈願のためなどと言われる。 |
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